なぜ靖国神社はずっと気まずいのかー日本の排他性を考えるー
政治と宗教の分離の問題?戦争によって被害に遭った隣国(慰安婦問題等)に対して配慮が欠けるとされるから?
どれも間違ってはないが、なんとなく自分の理解がフワッとしているのが気持ち悪かったので、この前靖国神社に行ってきて、いろいろと調べてみた。
行ったことのない人は、是非靖国神社に行ってみて欲しいし、中にある遊就館も必須で訪れてほしい。行ってからこれを読むのもありかも。
靖国神社とは何か
靖国神社は、東京都千代田区九段北にある神社。招魂社に起源を発し、明治維新以後の国家のために殉難した人の霊(英霊)246万6千余柱を祀る。日本兵を「英霊」として神格化し、合祀している靖国神社は、その目的や公務員の参拝について長年議論の的となってきた。(Wikipediaより引用)
公式サイトによれば、この「国家のために殉難した人」とは、戦争犯罪人として処刑された方々も含まれ、靖國神社に祀られている神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているそう。
戦犯合祀
靖国神社はB、C級戦犯だけでなく、A級戦犯も合祀している。これは単に「犯罪者を祀るのはおかしい!」というだけでなく、帝国主義的、軍国主義的イデオロギーを正当化し、その負の側面を強める可能性を大いに孕んでいる。
「他国の領土を支配して日本を強くすることのなにが悪いんじゃ!」的な。もちろんこんなことは戦争に勝つ立場であることを前提としているし、「勝利の正義」のもとにたっているので、それは「真の平和なんですか?」となる、うん。
実際、昭和天皇も明仁天皇も、この「平和の国」の矛盾のために参拝しなかった。
遊就館
靖国神社の敷地内には遊就館という、日本の戦争の歴史を展示する博物館のようなものがある。そしてこれが、戦争そのものを美化し、神格化する傾向があるという意見もある。
展示品は、「天皇と国家のために死ぬことがいかに尊いことか」を宣言するように作られてうて、軍国主義の害悪を認識することはできない、と学者は言っている。うん、たしかに。
実際、遊就館は一貫して、当時の日本兵士たちが、家族や個人の将来を犠牲にして国のために戦ったことを紹介し、それを崇高な生き方として描いていた。その時はクラシックな戦争の話としか認識しないかもしれない。でも、広島の原爆ドームとかとは違う。戦争の兵士を祀るなら、彼らがしたことについて、良い面も悪い面も両方語ることは不可欠。日本軍が行った残虐行為や性的虐待については、言及も説明もなかった。
宗教と政治の分離
最近で言えば、旧統一教会と国会議員がどうのとかでずっと問題になっている宗教と政治の関係。
多くの学者は、「首相の靖国神社への参拝は宗教と国家の分離にあからさまに違反している!」と主張している。
が、政府(自民党)の主張は、「靖国参拝は非宗教的かつ愛国的な市民儀礼です!」というもの。つまり、この参拝は仏教やキリスト教の儀式とは本質的に違うんだってさ。国家と天皇のための自己犠牲を理想とし、新しい日本人のアイデンティティを象徴する神道(国教)の戦没者を神格化するものだから。
なるほど、自民党はそういうスタンスなのね。
と思ったら、中曽根元首相は当時、訪問したときに、公的か私的かを明言しなかった。公的って言っちゃだめなんかい!どっちだよ
首相参拝のメリデメ
どっちだよ、と思うってことは多分首相みんな、正解がない問題に苦労していると思うので、歴代首相の参拝のメリットとデメリットを考える。
結論を言えば、国家にとってはメリットがデメリットを上回ると考えられる。
メリット
これは日本国内の日本人に向けて政府の「信頼性」を高めるのに役立つ。
1. 遺族に寄り添える
国家のために戦った戦争で家族を失った人たちにとって、政府が公式に靖国神社に参拝しない(あるいは内々に参拝する)ことは、裏切られたように感じるかもしれない。
2. 国防の強化に役立つ
敬意、名誉、感謝を示すことで、国防の強化が可能になる。愛国心が強まることで、国民がすすんで国のために自分の命を犠牲にするかもしれないということ。
デメリット
一方、マイナス面はほとんどが外交的な問題だ。
1. 韓国や中国との外交関係の悪化
実際、首相が靖国を参拝するたびに周辺国からの反発が強まっている。
2. 国際社会の一員として不適切とされる
これが個人的に一番興味深い。本当に。
靖国独特の神道的な形式は伝統を歪めるものであり、有害なナショナリズムを強化するものだからだ。
この「伝統」とは、故人を弔う際の伝統で、基本的に日本では神道と仏教の両側面をもって弔いが行われる。先祖を弔い、悪霊を鎮めるというのは仏教的な側面である。
しかし、靖国神社はこの仏教的側面を完全に排除し、守護神社として機能している。靖国のコンセプト上、神道以外の他宗教の形態を採用できないので、故日本兵を祀っているが、悪霊を鎮めるプロセスはない。
"仏教の教えでは、魂は冥土で転生するという「輪廻転生」の考え方を信仰しているのに対して、神道では故人の魂は家の守護神になると考えられています。"
じゃあその代わりに何が採用されているのか。解は戦時中のナショナリズムだ。つまり、伝統の一部であった仏教が、戦時中のナショナリズムによって書き換えられてしまったのである。故人を、戦争において国家に大きく寄与した人物として崇め奉る(わたしたちが靖国神社を参拝し、彼らの国家への献身に感謝を示す)ことで、死後安らかに眠りにつくということだ。
私が言いたいのは、神道批判でも仏教崇拝でも何でもない。
政府の最高権力者である首相が参拝するという事実は、有害なナショナリズムを復活させ、強化する。
さいごに
日本はいまだに歴史から排他的であるとみなされ、それが一種のナショナル・アイデンティティとして機能しているのだろう。
政府が靖国神社に参拝することで得られる利点は、大多数の日本人に向けられている。なぜなら、「ほとんどの」日本人は先祖が戦争体験者だからだ(私もその大多数の一人だと自覚している)。遊就館の偏った展示は、実際に私に日本人としての連帯感と誇りを感じさせ、民族的・文化的マイノリティという、カテゴリーに当てはまらない人々を思考から排除するものだった(日系人、在日韓国人、二世、沖縄人、アイヌ民族、諸外国からの技能実習生、精神および身体に障害がある人もこれに含まれる)。
そして、それが政府によって強化されていることは、日本がいまだに「日本人」のための国家であり、無意識のうちに他のマイノリティを国民の枠組みから排除していることを示唆している。
なぜ靖国神社がずっと気まずいのか、伝わったら嬉しい。
これを読んだら自分なりの解釈をコメントしてみてほしい。
そして、
靖国神社、是非行ってみてね😊
参考文献
https://www.jstor.org/stable/j.ctv1jpf1pk?turn_away=true